宮古市

(撮影2012~)
1.宮古市の地名
 興味深い資料があります。
 岩手県の東部の陸中海岸にほぼ長方形をなす宮古湾があり、湾に注ぐ閉伊(へい)川の三角州に宮古市の市街地が広がり、河口には宮古港が立地しています。宮古港は、古くから海陸交通の要衝で、江戸時代には江戸や長崎向けの海産物の積み出し港として栄えました。この地名は、
(1) 横山八幡宮を祀る「ミヤ(宮)・コ(処)」の意、
(2) 閉伊地方の文化・経済の中心地「都」の意、
(3) 海産物を移出し、都物を移入する都のように栄える港の意などの説があります。
 この「ミヤコ」は、湾の名で、マオリ語の「ミヒ・イア・コ」、MIHI-IA-KO(mihi=greet admire,show itself;ia=indeed;ko=a wooden implement for digging or planting)、「実に・掘り棒で掘られたような地形(細長い深い湾)があることを・見せつけている(地域。湾)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)の転訛と解します。
出典:井上政行ホームページ「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei02.htm#
2.注目すべき宮古市の人物
 2-1.須賀古麻比留
 『続日本記』の中で「霊亀元(715)年十月、蝦夷の酋長である須賀君古麻比留は朝廷 に対して先祖以来、昆布を献上し続けていると報告した」とあります。
 2-2.牧庵鞭牛(ぼくあん べいぎゅう)
 1710(宝永7)年に現宮古市の農家で生まれ、母の死を機に仏門に名入り、38歳で林宗寺の住職となりました。宝暦の飢饉(宝暦4~7)1754~1757年で大被害に直面し、起伏の多い山道、難所の多い脇街道(宮古街道または閉伊街道)盛岡~宮古の往路改修の開削・改修に生涯をささげました。現在の国道106号線とほぼ重なる道で山田線が並走しています。
3.昭和時代からの発展
 国鉄山田線が1923~1935年にかけて開業しました。ラサ工業の進出により窯業、鉱業また木材工業関連で栄えました。第二次大戦後は、サンマ漁船や北洋漁業の基地となり賑わいました。1974年の東北ヒロセ電機の進出、世界でも知られるコネクタの産業集積地となりました。1984年第三線クターの三陸鉄道が開業しました。