(撮影2013年~)
階上町は、白座遺跡などの縄文時代~平安時代の遺跡が50か所以上確認されています。 階上岳中腹の寺下観音は所伝によれば、大同年間(806~810年)に坂上田村麻呂が創建したとも、神亀年間(724~729年)行基が応物寺として開山したとも伝えられています。享保年間(1716~1736年)に津要玄梁(しんようげんりょう)が再建しました。享保15年には藩主の疱瘡治癒を祈願して灯明堂が建立され、元文5年(1740年)に五重塔の建立が発願され延享元年(1744年)竣工をみました。寛保3年(1743年)には則誉守西が「奥州南部糠部巡礼次第」を著して「糠部三十三観音の1番札所」として定めると当地の観音信仰の中心地として庶民から藩主にまで崇敬を集めるようになりました。五重塔は修繕修復を繰返しましたが、大正2年(1923年)8月22日の豪雨災害で倒壊してしまいました。参考資料:『角川日本地名大辞典2青森編』
地名に関する民話「赤保内の殿様の娘」
むかし、階上町赤保内の殿様が、隣の殿様へ娘を嫁にやることにした。途中に大沼があり、遠い道を行くより、沼の狭くなった所に橋を架けて渡ることにした。そこで、両家で金を出しあって橋を架けて嫁を送り出した。ところが途中で、ホロド沼の主「大蛇」に捕まり、一同は喰われてしまった。
赤保内の殿様は、娘の仇討ちをするため、村人の鉄砲隊に命じ、蟇(がま・ひきがえる)の皮で作った「蟇笛」で、大蛇を誘い出し鉄砲で撃ったが、逃げられた。
大蛇は村人達に追いかけられ、階上町の角柄折(つのがらおり)で角を折られ、道仏(どうぶつ)で胴を切られ、茨島(ばらしま)で骨をバラバラにされ、大渡で尾っぽ(しっぽ)を切られ、耳ヶ吠(みみがほい)で耳をもがれ、石鉢で肉を切り取られた。
そして、大館地区に入り、花生(はなおい)で鼻を切られ、野場で野ざらしにされ、新井田で肉を切られ、館越(館串)で串ざきにされ、吹上で吹きとばされたという。
『八戸市史 民俗編』より
階上は、明治22年(1889年)の町村制で、赤保内村、金山澤村、田代村、角柄折村、道仏村、鳥屋部村、晴山沢村、平内村が合併して階上村になりました。昭和55年(1980年)町制施行して階上町となりました。
太平洋の海と恵み、なだらかな美しい山。歴史・地理・自然・文化的に興味深い町です。



