(2012~)
1926年(大正15年)町制へ移行し女川村から女川町に移行されました。女川湾は、自然の良港で水深が深く、商港(貿易港)として整備され、昭和12年~15年位までは燃油輸入港として君臨していました。昭和16年の宣戦布告以後から終戦までの第二次世界大戦中は、横須賀鎮守府隷下「女川防衛隊」が設置され、艦艇が設置されました。横須賀から函館までの中間地点としても利用されました。1945年(昭和20年)8月9日の空襲で、船舶7隻が撃沈され犠牲者が出ました。女川港は、製油された重油の輸入港でした。マッカーサーの指示で税関も廃止され、主な燃油輸入港は、敷地が広く様々な燃油が製油できる製油所や工場の多い川崎・徳島・松島・四日市等になりました。
貧しい町を豊にするために、原子力発電所を誘致し女川原子力発電所が建設され潤沢な財政を持つ町となりました。
東日本大震災での死者574名、死亡認定者253名 *2015年(平成27年)3月11日、女川町発表。