浪江町

(2013~)

昭和56年(1981年)3月発行の「角川日本地名辞典7福島県」で「浪江町」は「原発とサケの町」として記されています。
 大熊町・双葉町に東京電力福島第一原子力発電所の1~3号機が既に運転が開始されて、4~6号機の建設が開始されたころです。1953年12月8日「平和のための原子力」をアメリカ合衆国のドナルド・D・アイゼンハワー大統領が国際連合総会で演説してから。1955年頃、東京電力の原子力発電課が設けられ、設計研究を進めるなかで立地の選定活動・調査が進められ、設備費・立地費・送電線費を考慮し初期投資が安価となる地点を選定していました。福島県庁では、独自に原子力発電事業の可能性について1958年から調査研究を始めていました。その結果・大熊町、双葉町に跨る地点・双葉町・浪江町の3か所が選定されました。昭和40年(1965年)5月、県開発公社は買収した用地(大熊町・双葉町)95万㎡を東京電力に引渡しました。そして福島第一原子力発電所として昭和46年(1971年)1号機が運転を開始しました。富岡町、楢葉町では、福島第二原子力発電所の建設用地の買収が1967年には始まっていて、1号機が昭和57年(1982年)に運転を開始しています。続いて、県は東北電力株式会社浪江・小高原子力発電所の誘致を決議し、東北電力に誘致の陳情を行いました。東北電力は昭和43年(1968年)浪江町棚塩地区を原子力発電所予定地に内定し、県開発公社は昭和45年(1970年)東北電力から委託を受け、買収交渉を始めました。平成6年(1995年)からは東北電力が主体となって国土利用計画法の手続きを行い、平成9年(1997年)「土地売買等届出書」を提出し「不勧告通知書」を受けて用地等売買契約を開始しました。棚塩の強い反対運動もありましたが、立地状況、改正環境アセスメントを考慮し最終的に着工2011年、開通予定が2018年となりました。平成23年(2011年)の原発事故により、浪江町議会は白紙撤回を全会一致で可決しました。南相馬市議会も「浪江・小高原子力発電所計画の中止及び福島県内の原子力発電所を全て廃炉とすること」を求める議決を全会一致で可決しました。
 浪江町の泉田川漁業協同組合で昭和41年(1966年)に造られた簗場で毎年200~300万粒の産卵を孵化させ、春に稚魚を放流していました。鮭漁は最盛期(10~11月)で1日1000~3000尾もの水揚げがありました。平成23年(2011年)の事故以来、サケ漁の再会の目途は立っていません。
 東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で、町民21000人が全国に散り散りになりました。平成29年(2017年)3月31日に一部地域で居住ができきるようになり、復興が徐々に進められています。

浪江町(請戸)

浪江町(桜)

浪江町立(旧)小中学校